エクセルマクロ、生物学、生命科学、きのこ、禅

偶然に出会ったものごとについて書いていきます。

チェーホフ

文学部の集中講義を受けに行ったら、チェーホフの研究をしている先生の講義だった。

チェーホフの中の日本

チェーホフは医者だったので、クロード・ベルナールの「実験医学序説」を読んでいた、そうだ。

チェーホフは、「退屈な話」の中で、老医師に次のように語らせている。

不幸にしてわたしは哲学者でもなく神学者でもない。わたしは自分が半年以上は生きないことをきわめてよく知っている。今やわたしの心を何よりもまず惹く問題は、黄泉の闇のことやわが墓場の夢を訪れるであろう幽霊のことであるべきだと思われるかも知れない。しかしこうした問題の重大さを理性は重々認めているのに、なぜかわたしの魂はそれを知りたがらないのである。 二、三十年以前もそうであったように、今も、死を前にして、わたしに興味をもたせるのものはたったひとつ、科学だけである。最後の息をひきとるときも、わたしはやっぱり、科学こそ人間の生活においてもっとも大切な、もっともすばらしい、必要なものであって、科学は常に愛の最高の現れであったし、またこれからもそうであるだろうことを、そしてひとり科学によってのみ人間は自然と自身に打ち勝つことを信じるだろう。この信念はもともと、あるいは素朴で、正しくないのかも知れないが、わたしがほかならずこう信じていることは、わたしの咎ではない、わたしは自分の中のこの信念に打ち勝つことはできないのだ。

六号病室・退屈な話